今年3回目の言々句々です。
この数年間、持病との戦い、コロナの肺炎との戦い、腎臓透析のはじまりと続きましたので、なかなかペンをとる気にはなれませんでした。
しかし、今こうして生かされていることは奇跡であり、まだ世の中に仕えろと言われているのだと思います。私の体験談を通して皆様にも気を付けていただき、何か世の中の為に出来ないかと、最近より深く思うようになりました。
特に、前々回書きました言々句々の後輩と弟子の2人の死は、私には心より無念であり、「なぜ私ではなく若い2人なのか!」と無常を感じました。
コロナで肺炎になり、名古屋大学病院で世の中から2週間以上隔離されたとき、医師から家族に「肺炎を治すために最新の強いステロイドを使います。しかし命を守る代わりに腎臓が悪くなるので、命をとるか腎臓をとるかの選択になります」と言われたそうです。
当然、命が優先です。四十度近い熱が5日ほど続いていたので、救急車で運ばれてからは2日ほど動けない状態でした。
その状態の時に、夢なのか、自分が三途の川の近くまで行ったのか──。
洗心道場の初代師範長・安田政次郎範士が現れて「なにしとる」と唇を震わせ叱られました。また、私の前の師範長・田中弘先生が「バカ、あっちへ行け」と手で追い返されました。リアルでした!
そして最後に、大学の同級生だった船底正剛が大学生のままの姿でRXー7の車から降りてきて、「まだ頑張らんねん!」と。彼は大学時代に事故で亡くなった佐賀県出身の友です。
気がついた時に「なんでみんな出てくるのかな?」と思いながら、「まだ呼ばれなかったな」と感じました。
その後、2年ほどで腎臓の機能が普通の人の10%ほどに低下して、医師からは「1年以上かけて透析をしなさい」と言われ続け、ようやく覚悟を決めました。水戸の全国大会が終わった次の日から入院することを決めたのです。
しかし、水戸大会2連覇優勝をしたので、帰りのバスで飲み過ぎ・食べ過ぎてしまい、翌日の入院時の数値が一挙に悪化し、入院が長引きました。
続く
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